今だからマラソンを走る

感動の声
2012年5月16日

4年前の3月、小林幹理さんに突然の病魔が襲う。白血病――。

その日以来、闘病生活に入り、8月に弟さんから骨髄移植を受けた。副作用がなかったおかげで、10月には退院することができた。

「家族、職場の人、友人、いろんな人に支えてもらって今があるというのを実感しています。手術当日はみんなから励ましのメールが来て心強かったですね」

最悪の事態は避けられた。だが、病気前の日常に戻るには約2年を費やすこととなる。

歩くところから始めるのですが、最初はそれすらできないんです。でもこのとき、いつかマラソンを走ってみたいと思いました。1984年のロサンゼルス五輪から好きで見ていましたし、学生の頃ロスに短期留学したときは、選手たちはこの街を駆け抜けたんだなあと興奮したのを思い出したんです」

走る練習ができるようになったのは、主治医の許可が下りた昨年の9月だった。とはいえ、目標がないと長続きしないのが正直なところ。そこで、大会に申し込んだ上でトレーニングを開始した。それは、特別枠でまだエントリーが可能だった東京マラソン10kmの部だ。

「走ったり歩いたりを繰り返して、体に負担をかけない練習を心がけました。やり過ぎると免疫力が落ちると言われていましたから。ですが11月に帯状疱疹ができて、中断を余儀なくされました

赤いできものは思いのほか長引き、年が明け1月いっぱいまで休むこととなった。

トレーニングできなくても、完走できると信じていました。10月に5kmを走って感触を掴めましたので。それに高校時代に10kmを60分で走った経験があって、今回は90分以内で走れば良いわけですから」

2月に入り、小林さんは練習を再開した。しかし5kmを2回走ったのが最長で、結局本番まで10kmを走ることはできなかった。

2012年2月26日。東京マラソン。

小林さんはスタートラインに立った。

骨髄移植を受けて、たった4年でマラソンに出ようと思ったのはあなたぐらい、と先生から言われました。でも『自分はこんなに元気になりました』というのをお世話になった方々に早く見せたかったし、同じ病気で戦っている人たちに勇気を与えたかったんです。そしてガンで入院中の叔母にも」

10kmは想像していたよりずっと長かった。高校の頃に走ったのが信じられないぐらいきつかった。

「沿道の声が力になったとよく聞いていましたが、身に滲みて分かりました。声援がなければ、完走できたかどうか」

小林さんは83分でゴールした。身体はヘトヘトだったけど、表情はこの上なく晴れやかだった。

その後、体調の変化もなく、現在は自分のペースでトレーニングをしている。

「いつかはフルマラソンを走りたい。それが夢です」

 強い口調で話す小林さん。その日が来るのは、そう遠い日ではなさそうだ。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

仲間と過ごす醍醐味がある

感動の声
2012年5月9日

内田陽子さんは今年1月8日、『ママチャリ日本グランプリ』に出場した。富士スピードウェイで行われる婦人用自転車最大規模の7時間耐久レースだ。

「もともとサザンオールスターズ好きが集まってサークルを作り、その人たちとさらにサザチャリ部という自転車クラブを結成したのが、レースに出るきっかけでした」

サザチャリ部としては昨年が初出場だったが、内田さんは今年が初参加となった。

「レースがメインではあるんですが、前日から場所取りをしたり、バーベキューをしたり、ほとんどキャンプみたいなものなんです。うちのチームは全員で26名いるのですが、独身の人は前日に来て場所を取る係、家族のいる人は当日合流で食材係というふうに役割を決めました」

内田さんは夫、5歳の息子と参加し、一式を持っているということで当日組のキャンプ道具担当だった。

ルールでは、ママチャリは26インチ以内で、3段切り替えまでならOK。見た目をどんなに派手にしても自由。子ども用自転車は5段切り替えが認められている。チームから順番に1人ずつレースに参加し、リレーしながら7時間コースを走り続ける競技だ。

内田さんは夫妻でロードバイクを乗っていた経験があるそうだが、それとはまったく別物だと言う。

「ママチャリは重いんです。サーキット一周は4.5kmなのですが、ロードバイクで10km走るよりも疲れます」

レースは朝8時にスタートを切った。

サザチャリ部は、メンバーの体力に合わせてライダーを交代していき、賑やかに時間が過ぎていった。そんな中、息子さんが他の自転車と接車して転倒してしまう。

「私は横にいたのですが、息子の後輪と大人の方の前輪とが当たってしまったんです。ハンドル操作を失ってゴロンと倒れたんですが、すぐに立ち上がり、また自転車を一生懸命こいでいました。たまに痛そうな顔をするんですけど、歯を食いしばって走る姿に親としてすごく感動しました

誰が何周しても自由ということで、一人で5周する人もいれば、1周しか走らないという人もいた。内田さんと息子さんは2周、旦那さんは3周した。

楽しめれば、順位は何番でも良いんです。今回、目立つためにみんなで『ウォーリーを探せ』の赤と白のボーダーの服を着たのですが、来年はどんな衣装で参加しようか考え中です」

この大会は内田さんたちにとって楽しむと同時に、実はもう一つの意味を持っている。真冬にキャンプを張るということは、いつ来るか分からない地震への防災訓練でもあるというのだ。

食べて、体を動かして、命を考える。

内田さんにとって『ママチャリ日本グランプリ』は、人間の営みに直結した一大イベント。だからこそ、年中行事にしたいと語る。

いずれはもっとメンバーを増やし、仲間たちみんなで”充実した時間を過ごす”のが夢だ。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

プロカメラマンの撮影秘話 福島カメラマン

撮影秘話
2012年5月1日

私はフォトクリエイトで仕事をするようになって5年目です。以前は野球やサッカーなどの屋外の球技を中心に撮っていたのですが、最近は新体操など、室内の魅せるスポーツの撮影も任せてもらえるようになりました。仕事の幅は確実に広がっていると思います。

写真を撮る時に心掛けていることですか。販売写真の撮影をやっている以上、全員を満遍なく撮ることはもちろん、顔がキチンと写っている写真を撮ることは当たり前だと思っています。その上で、室内の採点競技を撮影するようになってからは、キレイなものをキレイなまま撮ること、人間が作り出す造形美を表現することの難しさを感じながら、毎回試行錯誤しています。

フォトクリエイトで働く中で、気づいたことがあります。それは、『“良い写真”は人それぞれ違う』ということ。それを教えてくれたのが、写真を買ってくれた方々からいただいたアンケートだったんです。

みなさまからのアンケートをチェックすることで、様々な視点を持つことができるようになりましたし、もちろん喜びのお声をいただければ撮影の励みにもなります。例えばマラソンの写真で、“この写真を飾って、来年までの励みにします”なんてコメントを見ると、私の写真が人の役に立っているんだなぁと思って嬉しくなるし、改めて、写真を撮っていて良かったと思います。

写真を撮る時には、毎回良い写真を撮ろうと思って撮影しているのはもちろんです。でも、事前に買う人たちの希望を聞いてから撮影するわけではないじゃないですか。だから結局、こちらの価値観を押し付けている部分が多いと思うんですよね、写真って。

そんなことも常々感じているので、アンケートを読んだ時にこちらの意図が伝わっていることがわかると、とても嬉しいんですよ。逆に、意図していなかった意見をいただいた時には、なぜ、そのようなコメントをいただいたのかを良く考えて、次回の撮影の時に参考にします。

アンケートのコメントを読むと、どんな写真が喜ばれているかが非常によくわかって、とても参考になります。私は、将来的にはどんなジャンルの撮影でもハイレベルにこなしていけるカメラマンになりたいと思っています。そういう意味でも、みなさまからいただくアンケートは私にとってはとても重要ですね。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

「継続は力なり」

感動の声
2012年5月1日

小学生らしからぬ冷静沈着な戦いぶりで、松本拓也君はベスト8に勝ち進んだ。続くベスト4進出をかけた一戦。彼特有のカウンタースタイルに拘ったことが仇となったのであろう。拓也君の戦いは延長戦の末、惜しくも準々決勝でピリオドを打つこととなった。

「技を出す時に迷ってしまい、そのスキに相手に決められて負けたんです。必要以上に慎重になり過ぎました」

11月27日、藤沢市の秋葉台文化体育館で行われた第17回神奈川県青少年空手道選手権大会。拓也君にとっては小学校生活最後の大会だったこともあり、彼の落胆は想像以上に大きかった。

空手を始めて今年で8年目に突入した拓也君。そのきっかけを作ったのは、他ならぬ母親の敦子さんだったそうだ。

「以前、同じマンションに空手を習っている男の子がいて、その子がすごく礼儀正しくて好感を持っていたんです。是非自分の子どもにもやらせたいと思って、道場に見学に連れて行ったら、本人もやりたいと言うので・・・」

5歳の時から泊親会川崎道場で鍛錬を重ねた拓也君は、4年生の時に念願の黒帯を取得。それ以来、週に6日、毎回3時間の激しい稽古に耐え、空手の腕を磨き続けた。

普段はマイペースで、空手の有段者に見られることなど皆無に近い拓也君。そんな彼に変化が見られるようになってきたのも、ちょうど黒帯を締め始めた頃からだったという。

「大きな声を出して周りの子たちをまとめたり、応援団をやったりと少しずつ積極性が出てきました」

黒帯を取得したことで、子どもながらに自信がついてきたのであろう。拓也君が礼儀正しい子として、近所の親御さんたちの評判になったのもこの頃のことである。

空手をやらせて本当によかったと思っています。幼稚園の頃からずっと続けてきたことで、辛抱や我慢などを覚えて、空手以外の面でも大きく成長しましたから

そんな母親の思いを知ってか知らずか、拓也君は中学生になっても泊親会川崎道場で空手を続けるという。

「小学生の時みたいに多くは通えないかもしれないけど、一生懸命稽古して、全国大会に出場できるように頑張ります」

最愛の我が子にかける言葉として、“もうちょっと勉強の方も・・・”というフレーズをグッと飲みこんで、“継続は力なり”を挙げた母親。この言葉の意味は、拓也君自身が一番よくわかっている筈だ。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

プロカメラマンの撮影秘話 Yカメラマン

撮影秘話
2012年4月5日

僕はもともと国内外問わず、旅行に行った先で写真を撮るのが好きだったんです。風景もそうですが、その土地の人の中に入り込んで撮影するのが一番好きでした。

さりげなくレンズを向けて、シャッターチャンスを伺いながら自然に出てくる表情をカメラにおさめる。目線をもらった笑顔の写真も悪くはないのですが、そういう瞬間的なものを撮ることに魅力を感じていましたね。

そして、こういうことが仕事になれば良いなあと思うようになり、プロのカメラマンを目指したんです。

 それから写真の専門学校に通い、アシスタントを経験して、カメラマンという肩書きを持ったのが30歳を過ぎてからでした。そもそも目指すのが遅かったので、こんな年齢になってしまったのですが。

 瞬間的なものを捉えるという点でいえばスポーツ撮影が最も近いと思っています。だからこそスポーツを撮影することが好きですし、あの臨場感や迫力はやっぱり特別だなと感じます。

その中でいつも心がけていることは、競技者の感情が表に出た一瞬を残したいということです。それも、ただ撮影するのではなく、例えば自転車競技なら、車輪がまわっているスピード感を表現しながらも、歯を食いしばっている表情はブレないように写すとか、球技であればなるべくボールも一緒に写っていて、さらに一番力が入っている瞬間を押さえるなど。

難しいことを言っているかも知れませんが、そういう全体像を逃さないようにしています。だから、現場では集中力が落ちないように、自分なりにモチベーション管理をいつもしています。

 フォトクリエイトの撮影現場では、特に子どもたちの大会が好きですね。

本当に必死でプレーしていて、感情が豊かなんです。負けたら人目もはばからず泣きますし、勝ったら心から喜びます。親御さんも一緒になって一喜一憂しています。

そんな情景を見ていると、純粋に写真を撮りたいという気持ちにさせてくれるんですよね。

 カメラマンとしてこれからの目標というと、抽象的ですが、より高いレベルで自分の写真を表現出来たら良いですよね。写真展をやってみるという方法もあるのですが、いまはそれにはまったく興味がありません。

それよりも雑誌やインターネットなどに自分の撮影した写真が載り、よりたくさんの人が見てくれる。このほうが自分の考えるプロのカメラマン像に近く、エネルギーの注ぎがいがあると感じています。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

着ぐるみで初マラソン!

感動の声
2012年4月5日

“やったことのないことをやってみたい”

 これが石田さんの信念だ。それゆえに、フルマラソンに挑戦しようという意欲を持った。

“だけど人と同じじゃつまらない”

 そんな発想をするのも、また彼女のオリジナリティでもある。

 『奈良マラソン2011』は石田さんの初マラソンとなった。しかも着ぐるみを着ながらという、ビギナーには無謀とも言えるチャレンジだ。

「せっかく市をあげてのお祭りなのだから、楽しもうという気持ちはありました。だから、着ぐるみで参加しようと思ったんですが、そんな人が棄権したらものすごくかっこ悪いじゃないですか。本番で失笑されないように、練習は一生懸命やりましたよ

 とはいっても、普段から着ぐるみで練習することはできない。これは当日、友人、知人、沿道の人たちを楽しませるためのサプライズとして取っておかなくてはならないのだ。

「当日、会場まで持って行くときは、頭の部分はバックに入らないので、別の大きい袋に入れて運びました。控え室でパンダに変身したら、その途端、まわりから『かわいい』って声が聞こえてきて、モチベーションが上がりましたね

 着替えが終わると、控え室からスタートラインまでは歩いて移動した。

「このときは違和感もなかったし、十分いけると思いましたね。だけど、スタートしたら走りづらいのなんのって。足同士がぶつかるし、頭は重いし、これはしんどいと感じました

 万が一、着ぐるみを脱ぎたくなっても良いように、インナーには通常のランニングウェアを着込んでおいた。必要とあれば“脱皮”もやむなしと石田さんはあらかじめ考えていたのだ。

 着ぐるみ姿は道中でも人気だった。沿道の人たちや同じランナーからもたくさん声をかけてもらった。

「友人と2人で同じパンダの格好をして併走していたので『双子や~』とか『カンカンとランランみたい』って応援の人たちからは言われました。ランナーからは『しんどくないか』『頑張れよ』と励ましの言葉をいただきました。皆さんのおかげでずっと笑顔で走ることができました

 ゴールはもちろん2人並んで仲良く。まわりからは拍手がわき起こった。

「練習してきたおかげで膝が痛くなることもなく、無事走り切ることができてうれしかったです。いや、ホッとしたというのが正直なところでしたね。顔は笑っていても心のどこかで、棄権したらあかんと緊張していたので」

 これで完走したとなると、次回も着ぐるみランナーとしての参加となりそうだ。

「パンダかどうかは分かりませんけどね」

石田さんはチャレンジ精神溢れる性格の持ち主。もしかしたら新しいアイディアで、また『奈良マラソン』を盛り上げてくれるかも知れない。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

プロカメラマンの撮影秘話 桜井カメラマン

撮影秘話
2012年3月1日

カメラマンになったきっかけは、大学時代にありました。当時、地質学を専攻していた僕は、フィールドワークで山野を歩くことが多く、きれいな風景を目にする機会に恵まれていたんです。幼い頃から絵を描くのが好きだったからスケッチに残したく度々足を止めることがありましたが、ずっと同じ場所に留まるわけにもいかず、小さなカメラを持ちだしたのが始まりです。学生時代の友人、先輩を通じて少しずつ写真の面白さに触れ、卒業後に上京、写真家の道を踏みだしました。

スクールフォトのお仕事と出会ったのは、それから少し後になります。スタジオでの下積みを経て独立した頃、出張写真館のスタイルに興味があったんです。そんなとき、フォトクリエイトから“子どもさんたちの写真を撮ってみませんか”という勧めをいただいて。子どもって、むずかしそうだなぁ。それでも、コミュニケーションを図りながら撮る写真なら自分向きなのかもしれないと思って、のんびり始めてみたんです。

最近ではすっかり、幼稚園や小学校での撮影が中心です。週末には吹奏楽コンサートなどの文化催しやマラソン大会などのスポーツイベントの撮影にも参加させていただいていますが、やっぱりスクールフォトの撮影はずっとずっと続けていきたいですね。今ではもう、子どもさんたちが大好きですから。

スクールフォトの醍醐味って、子どもさんたちの成長が見てとれることじゃないかなと思うんです。その日撮影して終わりじゃない。長い長い続きがあるお仕事なんです。やがて、先生方や親御さんたちのご苦労と喜びも、写真に見えてくるんです。ご入園、ご入学の頃の不安一色が健やかな笑顔に変化していくのがとてもほほえましくて、晴れてご卒園、ご卒業ともなれば、お一人ずつおめでとうのハイタッチを交わしたい気持ちになるんです。いつも撮影中にジャレついてきたやんちゃっ子が凛々しい顔をして整列していると、お母さんたちの眼差しと同じで、ファインダーを曇らせてしまうこともあります。その日、式典の会場では、まぶしく咲きほこるお子さんたちの姿を通して、きっとみなさんそれぞれにひとつの成就を讃えあっているんだと思います。一写真家にとってもひとつのゴール、そしてまもなく、次の成長が始まるんです。

昨年でしたか、とある幼稚園の卒園式の後、園庭にざわめく桜の樹の下で、ただの一人になるまで親子のスナップを無我夢中で撮り続けていたことがあるんです。そちらにいらしたお母さんより、後日、フォトクリエイトに「最後の最後まで写真をありがとう」とメッセージが宛てられていたそうで、何がわかって写真を続けてきたわけでもない、そんなまだまだ未熟な自分でも見ていてくれた人がいる。とてもとても嬉しかった。こんなことがあるから、スクールフォトは終わらないんですよ。

子ども写真って何でしょう。文字どおりの「憧(あこがれ)」、僕はただただ子どもになればいいと思っています。誰もが必ず通ってきた道だから、思い出すんです。戻れはしないけれど、近づくことを諦めなければ、子どもさんたちは必ず振り返って、笑って小さな手を差し伸べてくれます。ビジネスライクではいつまでも距離を隔ててしまう。いつだって子どもさんたちの絶対自由を邪魔しないこと。お仕事とはいえ、溶け込んでいっしょになることが大切なんです。

それから、子どもさん、先生方、親御さんへの感謝の気持ちを忘れません。いつでも、楽しい時間をありがとう、という思いを伝えていきたいです。写真は感謝の心。言わば、カメラマンと被写体の共同作品ですから、互いの「ありがとう」の交換ができて、初めて本当の笑顔が撮れるんじゃないでしょうか。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

何でもコツコツ努力すること

感動の声
2012年3月1日

バスケットボールを始めて僅か2年足らず。これ程の短期間であっても、彼が持ち前の才能を開花させるには充分だったということなのであろう。岐阜県高山市に暮らす中学2年生のN.D君は、飛騨地区選抜のメンバーとして第19回東海ジュニアバスケットボール大会に出場した。普段とは勝手の違う大きな体育館でのリーグ戦。真っ赤なユニフォームに13番を背負った小柄なフォワードは、最大の武器であるスピードを生かして華麗にコートを駆け回った。

試合当日の12月17日、「上手い子に混ざってプレーするのがすごく楽しみ」と言い放って元気いっぱいに家を出たN.D君。しかし息子の勇姿をスタンドで見守った母親のN.Mさんにとって、試合前の彼の表情は、言葉とは真逆のものに見えたという。

「寒かったのもあるかも知れないけど顔が引きつっていたし、緊張しているのがわかって見ていられませんでした」試合が始まる前、我が子を見てそう感じていたN.Mさんの心配を吹き飛ばしたのは、コートで躍動するN.D君のプレーだった。

シュートが決まった時は、我が子ながらカッコイイと思いました。出場時間は短かったのですが、シュートフォームもきれいで、スター選手のように見えました

中学入学と同時にバスケ部に入ったN.D君。当初は小学校の時からミニバスをやっていたチームメイトに技術では歯が立たず、弱音を吐くこともあったという。その時期に諦めることなく基礎練習を積み重ねた成果が今、花開いたのであった。

「私は何でもコツコツと努力して、とにかく一生懸命やることが大事だと思っているんですよ」

そう訴える母親の考えが正しいと証明したのは、家では甘えん坊でやんちゃな次男のN.D君だった。

「結構頑張れたし、自分なりには満足している」帰宅したN.D君は、家族の“どうだった?”という問いに笑顔でそう答えたという。選抜チームのメンバーに決まった時は“嬉しいよりも、ついていけるか心配”と不安ばかりを口にしていた息子が短期間で大きく成長したことがN.Mさんは嬉しかった。しかしながら母親をさらに喜ばせてくれたのは、N.D君が何気なく口にした、それに続く言葉の方だった。

「中学ではいつも当たり前に試合に出られるけど、選抜チームではベンチに座っている時間が長くて、試合に出られない子の気持ちがよく分かったし、初心を思い出した

高校に行ってもバスケを続けたいと思っているN.D君。岐阜が誇るスピード派のポイントゲッターは、母親の大好きな“何でもコツコツと努力すること”という言葉を胸に刻み、これからも更なるステップアップに励むことであろう。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

プロカメラマンの撮影秘話 渡辺カメラマン

撮影秘話
2012年2月3日

フォトクリエイトの仕事をやるようになったのは10年くらい前から。会社が立ち上がってすぐの頃だったと思います。ちょうどフォトクリエイトが関西方面での撮影に力を入れようとしていた時期で、大阪に住んでいる僕に声をかけてくれたことがきっかけです。当時僕は他に仕事を持っていて、あくまでも趣味のレベルで舞台写真を撮っていました。知り合いの小劇場の役者さんたちに頼まれて、休みの日に撮影していたんですけど、趣味が高じていくうちにその魅力から離れられなくなったというのが正直なところですね。

得意分野ですか。もう長年やっているので、今は特にないですね。どんな分野でも依頼を受けたらキチンとこなします。僕が心掛けているのは、イベントを担当しているディレクターがどんな意図で撮影を依頼しているかを考え、買っていただいたお客様が喜んでくれる写真を撮るということだけです。ジャンルに関して言うと、僕はフォトクリエイトの中でも異例なくらいナンデモ屋なんです。スポーツも撮れば舞台モノも撮るし、吹奏楽の大会にも行きました。唯一撮ったことがないのは社交ダンスぐらいですかね。

最近は、新体操に魅力を感じています。見ていても優雅ですし、自分自身との戦いだというところが好きなんですよ。特に、子供たちの健気な演技を目の当たりにすると、子供たちの100パーセントの瞬間を写真に残してあげたいという気持ちが強くなります。

これは他の競技にも共通するんですが、顔がキチンと写っている写真を撮ることは最低条件です。さらにマラソンなどのロードレースの場合は、キレイな景色をバックに、全身が入るように撮影することも心掛けます。その方が後で写真を見た時にいい記念になるはずですから。

近頃は後輩へのアドバイスを求められることも多くなってきました。カメラマンを目指す人は、自分の意見を持っていることが多いのですが、一概にカメラマンと言ってもフォトクリエイトの仕事は特殊です。お客様に写真をどれだけ提供できるかが最重要なんです。参加者が多いイベントでは、ひたすらシャッターを切り続けるなんて当たり前のことです。疲れるからという理由で枚数を少なくしたり、自分の撮りたいものだけを撮るなんて論外です。だから意見を求められれば、お客様に喜んでもらえる写真を1枚でも多く提供することが大事だよと答えています。それこそが、僕たちにとっても最高の写真なんですから。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

自然の猛威に耐えながら

感動の声
2012年2月3日

マラソンを始めて以来、7年間ずっと出場している『田沢湖マラソン』。昨年9月に行われたレースは、鈴木孝友さんにとって過去最高と言ってもいいくらい辛い大会だった。もともとコースはアップダウンが厳しく、35km地点の上り坂がもっともきつい。「足がちぎれる」と言われるほどなのだ。

鈴木さんは自己ベスト3時間2分49の更新を狙うべく大会に臨んだ。狙うは3時間を切るタイム。練習も予定どおりにこなすことができ、密かに自信を持っていた。

レース前半は今までにないほど快調で、ハーフの21km地点で1時間30分をゆうに上回るペースだった。その後もすこぶる調子が良かった。

しかし30km地点に差し掛かった時、事態は一変した。30km付近からバケツをひっくり返したような大雨が降り出す。それだけにとどまらず、強い風も吹き荒れた。コースは田沢湖をぐるっと1周する山の中。自然の猛威が鈴木さんに襲いかかってきたのだ。

9月のレースで雨が降れば、普通ならほてった体を心地よく冷やしてくれる。しかし土砂降りと強風はそのレベルをはるかに超え、体が震えるぐらいの寒さを与えた。体温は急激に低下し、その影響は鈴木さんの右足太ももを直撃した。ピンとつるような感覚に見舞われ、一旦走りを止める。ストレッチで筋肉を伸ばし、また走り始めた。しかしどんどん悪化していく。

35km地点には最大の上り坂が待ちかまえている。ここから約2kmはずっと山道を登って行かなくてはならない。「あんなに調子が良かったのに…」一変してしまった自分の体調に情けなさを感じた。

それでも右足を引きずりながら、諦めることなく坂を進み続ける。顔に当たる横殴りの雨がときに痛かった。

登り切ると、今度は下り坂だ。太ももだけでなく膝にも負担がのし掛かる。これ以上、走るのは無理だった。鈴木さんは洪水のように水が流れる坂を歩いて下った。

「這ってでも完走したい」頭の中にはそれしかなかった。

坂を下りきると暴れていた雨や風が弱まり、カッパを着た応援の人たちが沿道に見えた。この悪天候の中、ずっと待っていてくれたのだろうか。みんな「頑張れ」と言ってくれる。その声に励まされ、鈴木さんは再び走り始めた。

そして右足を引きずりながらゴールイン!苦しかったからこそ、やり切ったという気持ちが大きかった。

しかし喜びもつかの間。次第に悔しさがこみ上げてきた。目標タイムよりも40分近くオーバーしていたからだ。

正直、このレースは鈴木さんにとって苦い経験だった。しかし、だからこそこの悔しさをバネにするしかないと思った。

チャンスはまだやってくる。次こそ自己ベストを出すため、鈴木さんは今日も時間の許す限りトレーニングに没頭している。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)